受動的な音楽活動って書くと、いかにも「ワタシ音楽やってます!!」みたいに聞こえますが、まったくそんなことはありません。
自分が好きな音楽について人に言う機会が今までなくて、言わなくても特に不便は感じていなかったのですが、先日の秩父遠征で「自分をさらけだそうぜ!!」という話を聞いて、ちょっとさらけだしてみよう、という気持ちになりました。
■音楽とわたし
高校生のころに、軽音楽部に入部したことがありますが、そこでドラムに就任し、3日くらいでクビになったことがあります。あと、実はピアノを10年くらいやっていました。あとは学校の合唱で伴奏をしたくらいです。
自分が音楽に携わったといえるのはこれくらいで、あとはゲーム音楽を好んで聞いていました。(しかしながらサントラを買うとかそういったことではなく、兄がゲームをしているのを見ていただけです)
母は槇原敬之さんが好きだったのと、兄が林原めぐみ嬢を好きだったので、車内は大体その2人のCDか、ナック5を聞いていたような気がします。
あとは、個人的にFF4のメインテーマが好きでした。
初めて買ったCDはFF4のサントラなので、よほど好きだったのだと思います。
FF4 またやりたい。パロムとポロムがわりと好きだった
そんな感じで、自分から積極的にかっこいい音楽や素敵な音楽を聞きたいといった願望もなく、林原嬢へへへ・・・マッキーいい曲うたうじゃん!!といった感じでした。
でも、唯一大黒摩季は好きでした!!FF4のサントラの次は大黒摩季だったので、大黒摩季が初めて好きになった歌手かもしれませんね!!!!
■ファナティッククライシスが好きだった
わりと隠していたんですけど、なんだか正直に言った方がいいよと助言をもらったので、一応書いてみました。ファンクラブに入ってたくらいわりと好きだったのですが、一番好きな曲が動画で上がっていないので割愛したいくらいです。
このPV撮影に私行ったんやで
中学から高校にかけて、世間的にはバンドブームということで、グレイやら何やらが流行ったように記憶しています。当時からちょっとひねくれていたのであまりグレイやラルクは聞いていませんでした。友人が貸してくれたグレイはちょっとだけ聞いていたように思います。
■第一次能動的音楽活動は高校時代
高校が自宅から自転車で45分〜1時間かかるところにありましたので、音楽を聞きながら通学していました。(危ないのでやっちゃだめだなと思います。当時はアレでしたから。時代がアレでしたから)
高校は古河市という、茨城県県西地区では栄えている(JR宇都宮線が唯一茨城県に止まる駅として有名ですね)ところにありましたので、高校時代はわりと大宮や都内に出かけていました。
大宮はアルシェでCDをジャケ買いし、あとは新宿をふらふらしたりしていました。ライブにも積極的に行っていたので、当時はだいぶイキっていたのだと思います。
※大宮Heartsがなくなってしまったとのことでショックです。青春の地だったのに・・・・。
椎名林檎ちゃんを知ったのもこのころだと思います。あと、中3でグレイプバインの光についてを聞いてショックを受けたのも覚えています。
ミッシェルガンエレファントのバードメン(CD買った)
ライズのwhy I'm me(CD買った)
ここらの有名どころをおさえつつ、なんか自分が好きなの見つけようと思ってワンダーグー(中古CD屋と携帯ショップや本屋がいっしょくたになっている地元民ご用達のお店)に行ってはいろいろ吟味したりなんだりしていました。
そして聞いていたのがマザーファッ○ン的な音楽となるわけです。
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